安久工機と人工心臓少年BENの話
~その後のBEN編~

前回ご紹介した、BEN一家が来訪し濃密な時間を過ごしてからも、BENと安久工機のやり取りは続きます。そんなある日、BENに困難が訪れる。彼と安久工機はどう乗り越えるのか。来訪からその後の様子を、当時のXの記録を元にまとめました。

 

それではBENのその後編、ご覧ください。

BENからのSOS

2021年7月下旬

BEN一家が北陸に帰ってからも、我々はLINEグループでBENの研究に関するやりとりを続けていました。

彼はある進路がかかった選考会への研究報告の締め切りを8月23日に控えていて、そのための実験装置と治具を自作するべく設計と試作に勤しんでいました。

彼のつたない手書きの図面や、紙や布やゴムを使った手作りの試作治具を見ているとモノづくりの原点を感じざるを得ませんでした。

とにかく自分の頭の中にあるモノをカタチにしたいというあくなき執念。

タイショーも思うところがあったのか、激務の中設計や実験方法のアドバイスを送っていました。

そんな中ある問題が起こります。

BENはある教育機関に所属しており研究指導や設備利用の支援を受けていたのですが、そこの3Dプリンタが不調で印刷ができない、というのです。

10時間かかるものを出力開始して翌朝見に来たらモジャモジャのダンブルウィードになっていた、というアレです。

なんとか安久工機で助けてくれないか、というのでよくよく聞いてみると思案中の実験治具の設計が完了したら3Dプリンタで印刷してほしいとのこと。

そんなもん朝飯前なので特に考えもせず「いいよ」と答えました。
「2,3個ならタダでいいから設計できたら教えてね」と。

この時、7月29日。

何作るか知らないけど2,3日もあればなんとかなるだろうと高を括っていた私は

「設計データが届いたらウチの3Dプリンタで印刷すればいっか」

とのんきに考えながら来たる夏休みのためにAmazonでBBQコンロを眺めておりました。
(Weberにしました)

しかし待てど暮らせどなかなか設計データがやってきません。

むしろLINEのやり取りを見ると設計変更やなんやらだいぶ手こずっている様子。

私は何を印刷すればいいのかもよく分からないまま、無情にも一日また一日と時間が過ぎていき、世間はお盆休みに突入しました。

訪れる困難、救世主登場

2021年8月10日。締め切りまであと2週間。

ようやくBENから届いた設計データを見た私は頭を抱えました。

その形状は必ずしも3DPに向いているとは言えず、何より当初聞いていた情報を大幅に超える、その数合計6種約20点。

さらにその納期は8月15日着という鬼スケジュール。

逆立ちしたって当社の設備では間に合いません。
外注しようにもお盆のど真ん中に営業している会社なんてどこにもありませんし、よしんばあったとして、納期的に絶対無理です。

嗚呼、私のせいで一人の少年の未来がついえてしまう…
ごめんよBEN、疲れたろう。オジサンなんだかとても眠いんだ…

泣きながら頬張っていたBBQの残りの丸こげ牛タンが手から離れるその刹那、中の人に電流が走りました。

「グーテンベルクならなんとかなんじゃねぇ!?」

私はすぐにグーテンベルクのL君に連絡し助けを求めました。

グーテンベルク」というのは超高速3Dプリンタを“これから”(当時)開発して業界に殴り込みをかけようという命知らずのスタートアップ(21年2月創業)で、当社に突然TwitterのDMを送りつけて来たことから知り合ったという、これまた変わった会社です。

代表のL君が初めて安久工機にやってきたのはその年の4月のことでした。

クセは強いし話は長いし何がしたいのかよくわかりませんでしたが、私が周囲に言いふらしていた“ベンチャーフレンドリー”(以下VF)という言葉に惹かれたとか、うちの社長に対しては「小関智弘さんの著書を読んで良く知ってます」とか、

とにかくまぁデレるポイントを絶妙に押さえてくるので試しに仲良くしてみることにしました。

間もなくして、同じくVFを掲げる極東精機製作所の専務(当時)に町工場のネットワークを広げたがっていたL君を紹介してみることにしました。

2021年5月のことです。

極東精機さんで催した面談&食事会は深夜まで及びました。

「ここで意気投合し…」みたいなのがマンガ的で分かりやすいんでしょうが現実はだいぶ違います。

L君はその場にいた皆さんにガッツリマジ説教され、しかし、しゅんとするでもなく「いい出会いができました!」と言って帰って行きました。

後から知ったことですがこの時グーテンベルクは様々なトラブルが重なり資金的にも墜落寸前の状態だったそうです。

L君が極東精機の専務に(私に断りなく)直電話し「3階の奥の部屋余ってましたよね?ウチ入れて下さい!」と直談判したのは極東さんと初対面の大説教会からわずか1週間後のことでした。

そんなこんなあって、安久工機と極東精機は“VF”の理念の元、グーテンベルクをゼロ距離支援するということで腹を括り、グーテンベルクは拠点を極東精機の3階に構え、ぞくぞくと人も集まりいよいよ本格的に超高速3Dプリンタの開発を始めることになりました。

2021年7月のことでした。

これは余談ですが、BEN母が安久工機を知ったのもL君がSNSで「安久工機という人工心臓の試作をした会社がある」と吹聴していたのをたまたま聞いていたのがきっかけです。

L君は医学部出身で、BENに「人体の正常構造と機能」(通称黒本)をあげてました。
梅津先生への訪問もちゃっかり同行しました。

「大丈夫ですよ。まだ試作機ですけどめっちゃ速いんで機械全部動かして間に合わせます。」

L君は面倒な顔ひとつせず二つ返事で引き受けてくれました。
その造形スピードたるや凄まじく、グーテンベルクのスタッフが休日返上で取り組んでくれたおかげでわずか3日で出荷することができたのでした。

安久工機、BENのスポンサーに

ただ、厳しい話ですがモノづくりを仕事にする人を大型連休に無理やり動かして超短納期の仕事を依頼して無料という訳にはいきません。

自分の研究のために人を動かすということはそれだけの責任を伴うということは、まだ若いBENにも理解してもらわなければなりませんでした。

そこで私はL君らに印刷をお願いする傍ら、BEN母も含めたグループLINEでBENにメッセージを送りました。

🤓「想定より数が多いのと、L君達に休日出勤させてしまってるので3万円だけ頂けますか?」

すると10秒も経たずにBENから返信がきました。

BEN「無理です」

一瞬ズッコケそうになりましたが、こう続きました。

BEN「3万円貯めたらいつかお願いします」

🤓「え、いつか?今必要なのではないの?」

BEN「必要ですがお金が足りないので諦めます」

BEN「ダイソーで実験に使う物買って使い果たしました」

🤓(こいつ…まさか小遣いでやりくりしてんのか…?)

私はしばらく考えてこう返信しました。

🤓「今回製作する分は安久工機がスポンサーとして全て無償提供します。」

🤓「本当は普通に頼むと何万円もします。タイショーへの設計相談も実はとても高いです。それだけみんなが君の研究を応援しているので、諦めることなく結果を追求してください!」

こうして安久工機はBENのスポンサーになりました。

母上からの強い支払希望は固辞させて頂きましたが、支援機関からの研究予算が取れた時はちゃんと請求させてもらってるので、全部が全部って訳でもないです。

我々が少しでも役に立てればいいし、彼にとって特別な何者かになれたらと思いました。

そして選考会締め切りの直前、BENの発表内容を少しだけ見せてもらいました。

専門家から見ればツッコミどころだらけなんでしょうが、とにかく私はそこから滲み出る好奇心と行動力とひたむきさにただただ圧倒されていました。

そしてそこには私たちが提供した部品がしっかり使われていました。

BENからの電話とパンイチの中の人の想い

2021年9月初旬。

確かその日は日曜日で夏の暑さは衰えることを知らず、卵の買い出しすら諦めた私は一人クーラーの効いた部屋のキンキンに冷えた布団にパンイチで潜り込み惰眠を貪っておりました。

突然、けたたましい音量で鳴り始めた携帯画面を眉を顰めながら見ると、そこには知らない番号が写っていました。

誰だよこの日曜の朝に。仕事か?営業か?いずれにせよ貴重な休日を邪魔する不届きなやつだ、と半分寝ぼけた頭で憤慨しながら応答しました。

「…もしもし…?」

「こんにちは、チュウさんですか。BENです。」

BENでした。

🤓「おーBEN!」

予想外の相手に驚いた私は意味もなく立ち上がったりしました。

🤓「珍しいな!どした!」

なんだか妙に緊張してしまった私はリビングをぐるぐる歩き回りながら電話をしていました。
パンイチで。

BEN「選考、落ちましたー」

言葉に詰まるとはこのことでした。
私の小さな脳内の錆び付いた引き出しを全部こじ開けて今彼にかけるべき言葉を探しましたが、「マジー!?やばくねー!?ちょーショックなんだけどー!!」みたいな一昔前のギャル男のような言葉しか見当たらなかったのでそっと引き出しを閉じました。

人を励ますってどうやるんだっけ。正解の返ししなきゃ。
そんな考えがぐるぐると頭の中を巡っていました。

🤓「そうか、残念だったな。頑張ったのにね。なんでだろうね。」

我ながらなんというセンスのない返答でしょうか。
なんでとか誰に聞いとるんじゃ。
大学時代にかじった教職課程の教育心理学をまじめに受けなかったことが悔やまれます。

私は携帯片手にパンイチでキンキンに冷えた部屋の真ん中に突っ立って寝癖だらけの頭をぽりぽり掻くしかありませんでした。

BEN「水の実験が楽しくてずっとやってたら時間足りなくて、たぶんそれで落ちましたー」

彼の口調は終始あっけらかんとしていて、悔しい気持ちもあったでしょうがそれよりも何かやりきったと言うか、解放感さえ感じました。

『実験が楽しかった』

その言葉を聞いて私も肩の力が抜けた気がしました。

🤓「実験楽しかったか!そりゃよかったね。また次の目標見つけようよ」

正解かはわかりませんがギャル男よりはマシな応えができた気がします。

12歳の彼の人生に「今夢中になっていることが楽しい」ということの他に一体何を求める必要があるのでしょうか。

私は一体何を期待していたのだろうと自分にうんざりしてしまいました。

あんなに気をつけていたのに、いつの間にか赤の他人の少年の"合格"に執着し、本人の気持ちを聞くこともなく「悲しい結果」と決めつけていた自分が恥ずかしく、馬鹿らしくなりました。

BEN「手伝ってくれてありがとうございましたー」
と言って会話は終わりました。

電話を切ってからも、ひょっとすると彼にとって過去の選考結果など通過点ですらないのかもしれないと思いました。

従って彼の研究はひと段落するそぶりなぞ微塵もなく、設計改良や実験を重ね、その10月にはある別のコンクールで一等賞を獲っていました。

気づけばあれから1年以上経ちますが、中学生になったBENは声変わりの気配を見せ始め、我々は相変わらずあーでもないこーでもないと研究支援に取り組んでおります。

その後のBENとの出来事

この一年色々ありました。
「親とケンカした」というBENが一人でタイショーと葉っぱちゃんの家にホームステイしたり、私たち夫婦で小田原や横浜を連れ回したり、プレゼンの練習に付き合ったり、「試作依頼の仕方がなってない!」と叱ったり、我が家で彼の誕生日を祝ったり、まぁなんやかんや色々です。

彼は沢山の方の力で支えられています。

理工学書出版社のNTSさまはBEN達を科学技術館に招待して専門書を提供してくださったり、東大の人工心臓開発チーム出身の先生が親身になって研究を支援してくださったり。

きっと私が知らないところでも多くの人に助けられていることでしょう。

それから梅津先生への2回目の訪問も叶いました。

BENの問題提起と仮説に対し、梅津先生に“先人達が踏んだ轍”の解説と勉強不足をガッツリ指摘されガッツリ凹んでいたBENですが、研究者を目指す上で誰一人避けて通れないことを今経験できているということそのものが何よりも尊いと思いました。

グーテンベルクはその後も安久工機を通じたスポンサーの一員としてBENのトリッキーな試作をいつも手伝ってくれています。

先日なんかは、グーテンベルクが学会誌に寄稿した3DPの活用事例の中でBENの事例を紹介していました。シリコンに埋めた造形物を溶解して流体回路を作った事例でした。

もちろん順風満帆ということはありません。

人一倍行動力の旺盛なBENとBEN母です。
煙たがられて相手にされないこともきっとあるでしょうし、研究に共感してくれない人も世の中にたくさんいるはずです。「どうせ無理」という人もいると思います。

でも私はそれでいいと思います。

私はBENに将来医者や博士になってほしいとは、今は全く思いません。
バンドマンだろうがパティシエだろうが詩人だろうが、夢中になれることに夢中になって自分で考えて行動して何かを生み出そうとするその勢いのままに生きればいいと思います。

それを一生続けられる人はそう多くはないからです。

で、彼が今夢中になっていることが人工心臓なのであれば、そして我々にできることがあるならばこれからも惜しみなく協力していこう、という気持ちです。

楽しいことに集中して生きるのが、やっぱり一番楽しいですからね。

BENとの交流については今後も気が向いたら不定期で更新していこうと思います。
(元より気まぐれで超絶不定期でしたが)

今後ともBENと安久工機をよろしくお願いいたします。

それでは!