安久工機と人工心臓少年BENの話
~②来訪編~

前回ご紹介した、人工心臓を愛する少年BENとの衝撃の出会いから時が経ち、ついにBENが来訪し、対面する日が訪れました。BENにとってテーマパークよりも楽しんだ来訪の様子を、当時のXの記録を元にまとめました。

 

それではBEN来訪編、ご覧ください。

BEN来訪直後当時の、安久工機Xの中の人の反応

先日BENが来て、そして帰って行きました。

あれだけ私たちも楽しみにしていて、そして実際に楽しかったのに、終わってしまうとなんだかこうぽっかりと穴が空いた気持ちになるのはなんなんでしょうね。

何十年ぶりか。キラキラしてあっけない束の間の夏やすみを過ごした気がしました。

BEN一家はおそらく誰のどんな予想も覆すであろう、本当に普通の、気どらない、とてもステキな一家でした。

ご両親はお医者様でも学者様でもなく、ただBENの「他人とは違う視点」と「頭の中のイメージ」の存在に気づき、それをなんとか汲み出してあげようと試行錯誤されている方々でした。

かくいうBENは興味とこだわりと人見知りとイタズラと自立と甘えと妹思いを兼ね備えたまさにカンペキな小学生男子でした。

私は玄関先で緊張の面持ちで直立する彼を見て嬉しくて、「ようBEN!」と喉まで出かかった言葉をギリギリ飲み込みました。

「BEN」と呼んでいるのはバレてました。

1日目:タイショー(安久工機社長)、梅津先生と緊張の対面

早速BENの考えているモノのアイデアを見せてもらうことに。
緊張もあってか、しばらく資料を出すのをためらったり、なかなか説明を引き出せない時間もありましたが、社長と会話したり人工心臓の試作品を見ているうちにだんだんと打ち解けて、身を乗り出して話をするようになりました。

しばらくしてBENは何冊もの分厚いファイルに描きためたスケッチや図面を見せてくれました。

正直とても驚きました。
そこに描かれたモノが最先端かとか学術的かとかは置いておいて、とにかく12年そこそこしか生きていない彼の頭の中のアイデアの膨大さとその具体性に圧倒されました。

唖然としている私の横で職人気質の社長はニコニコするでもなく、「ふ〜ん、よく描けてるね。これはこう動くの?難しそうだけど」と早速専門的な知見で詰め始めました。

「鬼かこいつは」と思いましたが、なんだかBENは理解者が見つかったような感じで、照れ臭そうにも嬉しそうにも見えました。

驚いたのは社長の「理解力」で、なかなか普段の饒舌さを発揮できないBENにヤキモキしているご両親をよそに「こういうことでしょ?」「前にこういうの作ったよ」と次から次に昔の資料を引っ張り出してきました。

私にはさっぱりでしたが二人の頭の中には同じイメージが共有されていたんだと思います。

昼食に鳥久弁当(美味)を食べて、早稲田大と東京女子医科大の共同研究施設、先端生命医科学研究所TWInsへ行きました。

BENはこの見学をよっぽど楽しみにしていてくれたようで、梅津先生に会った瞬間の緊張感たるや、かわいらしくて笑ってしまいそうでした。

妹ちゃんは逆に肝が据わってました。

最新の遠隔手術施設や様々な機器で溢れる研究室を巡り、BEN一家は梅津先生の語り口調に聞き入っていました。

写真でしか見たことがない補助人工心臓を手に取り、その重みと感触を肌で感じてみんな楽しそうでした。

意外と泥臭い現場の雰囲気もBENにとってはワクワクする要素だったのかもしれません。

先生は一通り見学が終わると講義室で質問タイムを設けてくれました。

私はBENがこの時のためにたくさんの質問を考えてノートにしたためていたことを知っていたので、さぞかし盛り上がるんじゃなかろうかと勝手な期待をしていました。

しかしなぜかBENは一向に質問をしようとしません。

むしろ恥ずかしがって頑なに拒んでいるようでした。

たぶんオトナなら誰もが「せっかくの機会なのに!」とむず痒くなる場面だと思います。「そこに書いてあることを聞けばいいんだよ!」と。

質問を急かす両親に、BENは怒りを滲ませながら「聞きたいことはもう全部わかった!」と言いました。

なんと彼は事前に梅津先生の著書を熟読していて、聞きたいことの答えは全部そこに書いてあったし、見学で解決したと言います。

「すげぇな…」と思いましたが、そこにはなんとなく恥ずかしさやバツの悪さから逃れたい感情が垣間見えました。

「なんかめっちゃ気持ちわかる」と、私は思いました。

私は料理がささやかな趣味でよく友人を招いては食事を振る舞ったりしています。

そこそこ褒めてもらったりデキに驚かれたりもしてありがたいのですが、

もし悪友の一人が私をLA BETTOLAに連れて行って落合務シェフに無理矢理引き合わせ、

「シェフ!こいつの作るパスタめっちゃ美味いんすよ!」

「せっかくなんだからシェフに得意のペペロン食べてもらえよ!」「おい何黙ってんだよ!」「こんな機会なかなかないぞ!」

などと言われようものなら、

「うるせぇ!お前のだけ毎回コンソメ入れてんだよ!!頼むから黙ってろこのバカ舌!」とブチギレたくなると思います。(美味いんだけど)

思い入れがある分、また相手をそれだけ尊敬している分、「ダサイ質問したくない」と考えてしまい何聞いたらいいかわからなくなる気持ちって、なんか分かるな〜と思いました。

梅津先生はニコニコしながら「質問なんてしたい時すればいいんだよ。また会えるんだから」とさすがのおおらかさでした。

しかし先生は、BENの手元にあるスケッチを見つけるとそれをパラパラとめくり「これ作りたいの?」と聞きました。

BENがうなずくと「これは相当難しいよ」と言って講義が始まりました。

おおよそ小学生が見ることのない文字列と図形がホワイトボードに並び、可愛い兄妹の目は釘付けになりました。

BENがつくろうとしているものがなぜ難しいか、先人たちがどんな困難を乗り越えてきたか、工学的な解説から人工心臓研究の歴史まで丁寧に話してくださいました。

最後にBENと梅津先生は共通の趣味である鉄道の話でひとしきり盛り上がり、またいつか必ず会うことを約束して見学を終えました。

後で聞いたところによると、子供たちにとってTWIns見学はディズニーなんとかより楽しかったそうです。

BENの頭の中では早速新しい考えが生まれていたようで、帰りの車の中は話が止まらなかったとのこと。

改めて貴重な機会をくださった梅津先生にはこの場を借りて感謝申し上げます。

そんなこんなで中身の濃い1日目を終えました。

安久工機に帰ってきたBENはまだまだ話し足りなかったようでしたが、さすがに社長も疲れていたのでこの日はこれでお開きとなりました。

一応次の日の予定は自由行動としていましたが、BENの強い希望により終日安久工機見学となりました。

帰り道、私はまだ会って数時間しか経っていないBEN一家に、まるで昔から知っているような感覚を覚えました。

思い返せば安久に到着した時もかしこまった感じはお互いなく、「あーどうもー!じゃあさっそく!」みたいな友達感覚でした。

不思議な魅力あふれる一家で次の日が楽しみでした。

見学初日を終えて帰宅した私は妹ちゃんから妻宛に預かった一枚の絵を渡しました。

妻もその日安久に来てくれていて、BENの小難しい開発会議の間、幼い妹ちゃんが退屈しないようにと一緒に遊んでくれていました。

よっぽど楽しかったのか、次の日も妻と会えるのを楽しみにしていてくれたようです。

なぜ、初めて会った、おそらく関係性もよく分かっていないであろう私達にそこまで心を開いてくれるのか、私にはよく分かりませんでした。

でも彼女が大きくなった時にまた夏が来て「あれはなんだったんだろう。でも楽しかったな。」とぼんやり思い出してくれたらいいな、と思いました。

2日目:BEN、別れ際に衝撃のお願い。

その日は朝から突き抜けるように透明な青空が広がっていて、見上げているだけで吸い込まれそうな気がしました。

会社に到着すると、まだ7月半ばの9時過ぎだというのに事務所はすでに蒸し暑く、あわてて冷房をかけましたが前日の熱気も冷めやらぬうちにBEN一家がやってきました。

BENは初日の対面時とはうってかわってリラックスした表情で、到着するなり展示棚の品を手当たり次第に取って眺めていました。

妹ちゃんは「りさちゃん(妻)いますか!」と言うので「ごめんね、りさちゃんちょっと遅れるって」と伝えました。

妻はゴルフの練習を2コマも入れたことを後悔していました。

私達は社長の提案で多摩川の土手に散歩に行くことにしました。

私は汗をダラダラ流してトボトボ歩いていましたが、子供達はピンピンしていて彼らの背丈よりも高い雑草の中をグングン進んでいきました。

川岸に辿り着くとBENは一目散に水辺に駆け寄って波を立て始め、妹ちゃんもそれに続きました。

「なんか波が好きみたいです」
と水際に仲良く並んでしゃがみ込む兄妹を眺めながら母上が言いました。

BENは幼い頃から身の回りの現象に周囲の子供達とは違う反応を示したそうです。

飽きもせずにじっと観察し、なぜそれが起こるのか彼なりに考え、いつも新しい"アイデア"を頭の中に描いていました。

そのBEN独特の反応に気付いてからは、できる限りそれを捉えて言語化し、関連する情報に触れる機会を作ることに必死だったそうです。

そう話す口ぶりは何か達観していると言うより「振り回されて困ります!マジで!(爆笑)」とサバサバしていて、ある意味子供のような方だなと可笑しくなりました。

彼らの頭の中からポンポン飛び出る興味関心を一つ一つキャッチするって、とんでもなく大変なことだと思います。

彼らの頭の中にあるうちは、それはしなやかで柔軟で全方向へ無限の可能性を秘めた姿をしていますが、言語化された瞬間、受け止め方によって私たちがその姿を歪めてしまうかもしれません。

それはちょうど両手にすくい上げた新雪のようなもので、力を加えればホロホロと崩れてしまうし、余計な熱を加えれば溶けて消えてしまいます。

正しい受け止め方ってなんだろうとぼんやり考えましたが答えは出せませんでした。

兄妹が多摩川で泥パックを始めないうちに川を引き上げることにしました。

BENは普通の子です。

もちろん、ある部分においては非常に優秀なところもありますが、苦手なこともたくさんあって、でもそれを乗り越えるために泣きながら努力したり、悔しいことや悲しいことも経験してきた一人の人間で、妹と公園の水飲み器を全開にしてゲラゲラ笑い転げる、優しい少年でした。

工場に戻るとBENの開発会議が始まりました。

面白いのが母上、父上、社長のファイトスタイルがそれぞれ全く異なることです。

口数の多くないBENの一言をきっかけに、母上は「これ?こういうこと?こうしたいの?なんで?じゃあこう?」と、とにかく手数を繰り出すインファイターでした。

父上は工学の心得があり、母上のインファイトを横で聞きながら時折論理的かつ現実的なコメントで刺しに来るカウンターパンチャーでした。

対する社長はそんな3人のやりとりをじっと聞きながら長い間沈黙し、突然確信的な一発を放り込んでまた黙るというベテランのヒット&アウェイスタイルでした。

BENの頭の中にはすでに確固たる何かがある様子で、目の前の人工心臓やみつろうペンの試作品に夢中になりながら、腹壊すんじゃないかというほど次々にヨーグルッペを飲み干していました。

それからBEN一家は安久工機を隅々まで見学したり、趣味の話をしたり、好きな端材を集めたりして過ごしました。

あっという間に夕方になり、帰る時間が近づいてきました。

車に荷物を積み込みだした頃、BENがソワソワしはじめました。
母上が「ほら、ちゃんとちゅうさんにお願いしなよ」と言います。「千と千尋でしょ」と。

「せんとちひろ?」
とぽかんとしている私に、BENが意を決したように言いました。

「 こ こ で 働 か せ て く だ さ い ! ! 」

さすがに笑いました。

テンパった私は「そ、それじゃ児童労働になっちゃうよ」などというワケのわからないことを口走っていました。

「今からお前の名前はBENだ!」

と返す余裕はありませんでした。

つまるところ来年中学生になっても研究を進めたいと。
そこで夏休みにまた安久工機に来るので、お手伝いでも雑用でもなんでもするから人工心臓のことやモノづくりのことを勉強させて欲しい、ということでした。

これも何かの縁です。
研究のことはいつでも手伝うし好きな時においでと伝えました。

BEN達は遙か北陸までの道のりを車で帰って行きました。
みんなきっと疲れていたことでしょう。

最後まで身を乗り出して手を振るBEN達の車を見送りながら「こりゃ一生の付き合いになるな」となんとなく確信がありました。

もはや「実は親戚でした」とかあっても驚かないと思います。

私がBENから学んだこと

私にとっても学びの多い二日間になりました。

もし私に子供がいたとして、彼らの興味関心を最大限に引き出すために親としてどう向き合うべきか、という問いに対するヒントのようなものが見えた気がします。

それは「信じること」と「期待しないこと」の二つじゃないかな、と思うのです。

とかく私たちは「信頼」と「期待」を混同してしまいがちです。

子供を信じているつもりで過大な期待をかけ、彼らの一挙手一投足に一喜一憂し、まるで彼らの人生が自分の人生であるかのように境界を曖昧にしてしまいます。

彼らは言葉にできないまでもその歪みを敏感に感じ取っていると思います。

幼少期「あなたを信じているからね」と言われ、その度になんとも居心地の悪いモヤモヤを感じていつも目を逸らしていたことをよく覚えています。

当時はそのモヤモヤがなんなのか理解することも説明することもできませんでした。

でも今ならなんとなくわかるような気がします。

それは「その言葉が目の前にいる自分に向けられたものではない」とわかっていたからです。

その視線の先には今目の前にいる私ではなく「未来の、自分よりももっと良い、自分のような誰か」がいることをうっすら認識していましたし、それを目指すべきなんだと思っていました。

私は、子供が善良な人間である限り、自分の人生を生きて自分の選択をして欲しいし、それによるどんな結果をも幸福に変える強い人間になって欲しい。

そのために親としてできることは、この世界の選択の多さと深さを教え、経験へのアクセスをサポートすることしかないんじゃなかろうかと思います。

そのためなら東西南北を奔走し知らないドアを叩くことも怖くない、かもしれない。

そしてそんな親御さんの負担を少しでも減らせるような社会であって欲しいと思います。

例えばその道の専門家が子供達の興味関心を受け止められるような。

BEN一家を見ていて、そんなことを考えていました。

さて、どう考えたっていい加減長すぎるし、ここで「BEN、また会おう!-完-」が一番スッキリすることはさすがに分かっているのですが上手いこといかないのが現実です。

数日後、余韻冷めやらぬうちにBENからSOSが飛んできました。

そして我々は公式にBENのスポンサーとなることを決めました。